2007年5月7日月曜日

リッチモンドに住んだ日本人 (武部六蔵日記)


リッチモンドに住んだ日本人、といっても今の話ではありません。
昭和のはじめにリッチモンドに半年間滞在した日本人で、今はもうその家は存在しません。
彼は関東大震災後の街の復興の参考にするために、ヨーロッパ視察にやってきた官僚でした。
武部六蔵という名前で1893年長崎生まれ、1918年東京帝国大学法科大学を卒業して1918年内務省入省、1922年内務事務官・都市計画局、1923年帝都復興院建築局庶務課長兼営繕課長、1924年復興局庶務課長、1928年に国費でイギリスを含むヨーロッパ諸都市にに滞在しました。
それだけではなく、南米(これは自費だったそう)にまで足を伸ばして各地での生活の様子を日記に残しています。
彼は1940年には満洲国総務長官にまで上りつめましたが、第2次大戦後は戦犯として1945年にシベリア抑留、1950年撫順監獄に移送された後、1956年に中華人民共和国最高人民法院特別軍事法廷により徒刑20年・仮釈放を裁定、帰国、1958年に亡くなっています。
満州時代の日記はすでに出版されて当時の資料として、かなりの価値のあるものだそうです。
でもヨーロッパ滞在時の日記は「一般受けするかどうか判らないので採算が取れないだろう」とのアドヴァイスで、出版が見送られていたのを、遺族の方たちで自費出版されたそうです。
私はまだ一部しか読んでいないのですが、当時の生活の様子がありありと、ユーモアを交えて読み取ることができます。
びっくりするのはイギリスにたくさんの日本人がいたこと。
日本人の経営するホテルやレストランなどの描写も入っています。
武部六蔵さんが住んでいたのはEly Houseという高級下宿で、リッチモンドにあるセントマサイア教会の横にありました。
これは日本人の経営ではないのですが、向かいにはGrafton Houseという同じような下宿があって日本人が何人か住んでいたそうです。
その当時の選挙権登録記録を調べると、日記に出てくる登場人物の名前を見ることができました。
まだまだこの日記を元に調べたいことがたくさんあるので、ここでもご案内できることがあれば書いてみるつもりです。
この日記にご興味のある方は武部六蔵さんの遺族の方に連絡をなさってください。
メールのあて先はrctakebe@blue.ocn.ne.jpです。

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