2007年5月27日日曜日

リヴァプール

リヴァプールに行ってきました。
ここは1207年、日本の鎌倉時代に時の王様ジョンによって港の許可証が出されたことに始まります。
今年(2007年)はちょうど800年後ということでイロイロな行事が目白押しです。
正直なところ、リヴァプールには何度も来ているのですが、ビジネス関係で泊まることはあっても、観光でお泊りと言うのは今回が初めてです。いつもはビートルズストーリー(博物館)をちょっと見て、チェスターかランカスター、もしくはスタフォードなんかに行ってしまうので、半日もいればいい方です。
ピアがやはり有名で、大型のクルーズ船などもマージー川を入ってきます。
船を迎える様に建っている3つのビルは、北からロイヤル・ライヴァー・ビルディング、クナード、湾岸事務所ビルです。
ライヴァーと言うのはリヴァプールの有名な鳥の事、ビルのてっぺんに建っています。
何とダブルデッカーのバス2台分の高さがあるそうですが、下から見るととてもそんな風には見えません。
どのガイドブックを見ても、「伝説の鳥」と書かれていますが、一体何の伝説なのかは書いてありません。イギリスのいい加減さの象徴のようです。
実はこのライヴァーバード、伝説でも何でもありません。

リヴァプールの勅許を出したジョン王の(個人の)家紋が鷲でしたから、町のあちこちにそれをかたどった印をつけたのが始まりです。彼の家はプランタジネット王朝と言って、エニシダが(家の)家紋でした。ですから咥えているのはエニシダだったんです。
ところが時がたって清教徒革命の時代、英国は議会派と王党派に分かれて戦いますが、リヴァプールは王党派に与しました。
議会派の勝利の後は党首のクロムウェルによって町が完全に破壊されてしまいます。
当然飾りになっていた鷲もすっかりなくなってしまいました。
ずっと後になってから「そういえば鳥の飾りがあったそうだから、また作ろうか」と言うアイディアが生まれましたが、調べもせずに作ったので鷲と鶴の合いの子の様な鳥になってしまいました。おまけに咥えているのも海草だとか、意見もバラバラ。
仕方がないので「伝説の鳥」と言うことにしましたが、誰も知らない伝説なので、それ以上深入りしないことにしたわけです。
そのうちに、伝説のライヴァーバードのいるところだからリヴァプールと言う名前になったなんて話も。勿論リヴァプールの鳥だからライヴァーバードなので地名が先です。
古い英語でLIVERというのは濁ったという意味。
マージー河の流れが速いので、泥を巻き上げるために濁って見えるからでしょう。
ちなみにロイヤルライヴァービルディングの鳥はコンペで勝利したドイツ人の大工さんの作です。すぐ後にあった世界大戦で敵がドイツですから彼の記録はつい最近まで抹消されていました。港として始まって、綿や奴隷のアメリカとの貿易で財を成したリヴァプールですが、20世紀には縮小の一途で、元気が出始めたのは21世紀に入ってからです。