私は単純なので、わかりやすいアートが好きです。
アートは楽しむためにあるのが基本だと思います。
でも、時々考え込まないといけないアートが存在するのも知っているし、それはそれで否定する気はありません。
最近は一体これのどこがアートなのか、と思うようなものを見る機会も増えました。
ま、自分の読解力がないために楽しめないんだろうと思うようにしているので、ティムちゃんのように「見てるだけでむかつく」という意識はありません(笑)
先日も「みきちゃん、みきちゃん!!」と大声で呼ぶので何事かと思ったら、今年のターナー賞を勝ち取ったジャスリーン・カウルの作品「Alter Altar」がテレビで紹介されていました。
ティムちゃんからすれば「これがアートなんて間違っている!!」ということらしいです。
ま、でもこういったアートはその底に何があるかということなので、誰でもできるかといえば、そんなに簡単ではないんでしょうけどね。
きっと19世紀に生きていたらターナーの後期の作品もけなしていたと思います(笑)
でも20世紀半ば過ぎに生まれたティムちゃんは、ターナーの代わりにデュシャンとかが嫌いで、それが置かれているテートモダン美術館も大嫌い。
「デュシャン?」という人には彼の有名な作品を紹介しておきます。
テートモダンにある「泉」という作品です。
かなりモダンに見えるので、1917年、第一次世界大戦の時代と紹介するとみんな驚きます。当時ニューヨークに住んでいたデュシャンは近所のお店で購入したこの小便器に「R.Mutt 1917」とサインして、お金さえ払えばどんな作品でも展示されるエキシビションに出展しました。
でもこれはアートではないと却下されて、その後行方も分からなくなっています。
デュシャンは彼が編集していた評論雑誌で「マット氏が制作したわけではないのでアートではないという意見もあるが、これは既製品ではあるけれど、彼がそれを選んで、それに新たな意味を与えたことに意義がある」との見解を載せました。
テートモダンにあるこの作品は、1964年に新たにデュシャン認可の元、レプリカとして製作されたものなので、以前のような購入された既製品ではありません。
桃太郎君は子供のころはモダンアートが嫌いでしたが、GCSE(イギリスの中学校卒業試験のようなもの)後にアートを専攻したこともあって、今では私と一緒にテートモダン含めいろんな美術館でモダンアートを楽しむようになりました。
なのでティムちゃんのことは頭が固いと思っているようです。
自分が子供のころにティムちゃんと同じような意見だったことはすっかり忘れているようですが、私はしっかり覚えています。
「こんなのふざけてるよ、こんなのがアートで美術館に飾られてお金も稼げるなんて詐欺」
そう言っていた桃太郎君がアートの世界で食べているのは不思議な気がします(笑)
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