2007年3月13日火曜日

ボタニカルアート


ボタニカルアート(植物綿密画)を探していらっしゃるお客様のお供でギャラリーを幾つか廻ってきました。ロンドンには商品としての絵画を扱っているギャラリーがたくさん存在します。

ボタニカルアートは本来医学書の一種としてハーブの絵を記したものが始まりです。
2000年以上前にギリシャのお医者様ディオソリダスが500種類以上の植物をその形態や効用と共に本にまとめ上げました。紀元512年にコンスタンティノープルでフラヴィウス帝の娘アニシア・ジュリアーニによってこの写本が作られてイラストが加えられ「Codex-Vindobonensis」(植物図鑑)となりました。
これを凌ぐ物が作られたのは印刷が始まってからです。
ドイツで初めての印刷された図鑑が登場したのが1485年、1530年にはデューラーの弟子であるウェイディッツの挿絵による木版画の入ったものが製作されました。
この影響はとても大きくそれまで薬用(つまり役に立つから)として育てられていた草花がその美しさのために庭を飾るようになったのです。
花図鑑として初めに作られたのはバジリウス・べスラーの1613年のものです。これには1000種類の草花がその一番美しい姿で収録されました。

フランスではマリー・デ・メディチによってフィレンツェからアートとしての綿密画がもたらされました。
ルーブル宮の庭に集められたスペインや西アフリカからの珍しい草花を宮廷付きの植物画家ピエー・ヴァレが丁寧に観察してアンリ4世の庭というタイトルで1608年に出版しています。
ピエー・ジョセフ・レドーはイギリスで肖像画の製作に使われていたテクニックを印刷に生かし、水彩画の腕前も見事で大変な人気を得ました。一時はマリーアントワネットの内閣で起草者としても働きましたが、革命の後はジョセフィーン・ボナパルト(ナポレオン夫人)の庇護を受けて厚遇を受けました。

イギリスではキューガーデンで1787年に始まったカーティスの「ボタニカル・マガジン」が英国での庭に大きな影響を与えています。特異な存在としてはトーントン、バックグラウンドを加えて美を追求しました。
19世紀にはいるとボタニカルアートは全盛期を迎えます。
世界初の万国博覧会を持ったイギリスで、その展示会場となった水晶宮をデザインしたパクストンもマガジンを発行しています。彼は庭のデザインの才能を買われてデヴォンシャー公爵の領地を任されるようになりアーティスト、建築家、造形庭師という多彩な分野で功績を残しました。

これらのアンティーク・ボタニカルアート・プリントは年代や作者によってかなり値段に開きがあります。
安いものでは50ポンド前後から上は数千ポンド以上する物もあります。
カタログなども豊富に出回っていますから是非ご覧になってみてください。

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