2024年5月7日火曜日

ジョン・スミス

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英語で「John Smith」と検索すると、3つ出てくる。
労働党の政治家(故人)
探検家
そして、ビールの名前(笑)

もちろん他にも弁護士とかミュージシャンとか色々出てくるけれど、有名なのは上の3つ。

今日紹介するのは、探検家のジョンスミスです。
ポカホンタスの彼氏と言えばわかりやすいかも。


ジョン・スミスは1579年、エリザベス1世の時代に小作人の息子として生まれました。
16歳の時に傭兵として諸外国を回り、その勇敢さで名前をあげていきます。

こちらは彼が洗礼式を受けた教会に飾られているステンドグラス。
ジョン・スミスの家紋です。
武勇伝のひとつが、オットマン・トルコとの戦いで3人を相手に決闘して勝ったということで、3つのトルコ人の頭が紋章に組み込まれています。


ジョン・スミスは1606年にヴァージニアカンパニーの船でアメリカに渡ってジェームスタウンの建設にかかわりました。

ヴァージニアカンパニーにはロンドンとプリマスのふたつがあって、ジョン・スミスがかかわっていたのはロンドンの方です。

カンパニーというのは今のクラウドビジネスのようなもので、一般から出資を募って儲けが出たら出資者に一部を還元するもの。
外国への侵略ですから名乗りを上げるだけでは不十分で、王様から許しを得る必要があります。
エリザベス1世は1603年に亡くなって、後を継いだのはジェームス1世。
彼からのロイヤルチャーターを受けて1700人ほどから出資を受けたのがヴァージニアカンパニーです。
1口分の出資金は労働者の半年分の賃金、ずいぶんと大きな額ですが、個人や団体でいろんな人たちが出資したそうです。

ヴァージニアではタバコが有名な特産品。
元は船の材料になる木材なども扱う予定だったそうですが、労働者が集まらずに事業は難航したそうです。
植民した人たちは、契約期間が終わると土地を受け取る契約をカンパニーとかわしていましたが、食糧難や病気などで80%くらいの渡航者は亡くなったそうです。

ジョン・スミスは植民者のために奥地を探検して食料を集めたり植民地の政治にかかわったりもしましたがケガが原因でイギリスに帰っています。
のちにアメリカへ渡った時の話を出版したりもしていますが、ポカホンタスの話は実際どこまでが本当化は分かりません。
というのも、かなり後になってから急に出てきた話だということで信憑性が疑われています。

実際のジョン・スミスはどんな人だったんでしょうね。

セントポール大聖堂のそばにある、セントメアリー・ル・ボウ教会横に像があります。
マントを翻して寒空に立つ彼。
正面から見るとこんな感じ。

こちらは東ロンドンのブラックウォールにあるヴァージニア植民の記念碑。
テムズ川の向こうには、白いドーム状のO2が見えます。
4つの旗は右からアメリカ、イギリス(UK),イングランド、そしてヴァージニア。

この記念碑が立っている場所はヴァージニアへ船出した「そば」という立地で、実際の船出はこの写真の中央やや右手、黄色っぽい建物の横、ブラックウォールベイジンの辺りから。
これは記念碑が建っている場所から撮った写真です。
けっこう離れていますよね。

記念碑には1606年12月19日に船出した3艘の船の名前や大きさ、キャプテンの名前などと併せてジョン・スミスの名前も「インスピレーションを与えて植民地の建設に貢献した」と刻まれています。
ヴァージニアのポートヘンリーに到着したのは翌4月。
ジェームスタウン(国王ジェームス1世の名前から)はイギリスの初めてのアメリカ植民地となりました。

このエリアは新興住宅地が多いのですが、ビルの名前や道の名前にヴァージニアの入植にかかわった人たちの名前にちなんだものが多いです。







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