ハンプトン宮殿みたいに歴史的な場所をお話するときは、
普通、何百年も前に起こったことをお話します。
でも、今日ご案内するのは、比較的最近起こったお話。
30年前、1986年のことです。
この年には、アレックス・ファーガソンがマンチェスターユナイテッドの監督に就任しました。
オペラ座の怪人がロンドンで初公演を行ったのもこの年。
ロンドンのストックエクスチェンジがコンピューター化されたり、
ロンドンの環状高速道路、M25 が完成したのもこの年でした。
そして、レイディ・ガガが生まれたのも1986年、3月28日がお誕生日。
その3日後にあたる3月31日に、ハンプトンコートは火事に見舞われました。
イギリスには、古くからグレース&フェイバーというシステムがあります。
これは、国や王家に対して貢献のあった人々に、無償の住宅を提供するというものです。
ハンプトン宮殿の一部は、改造されてこういった人々が住むアパートになっていました。
アパートといっても、平均14部屋。
大きなものは40部屋ほどのお屋敷で、召使い用の部分なども備えられています。
もちろん小規模なものもあり、4部屋しかないといった規模のものも含まれます。
火事はこのアパートメント部分で始まり、残念ながら86歳のレディー・ゲールはこの火事で亡くなりました。
レスキューや消防のために、120人以上の消防士が当たりました。
そういったプロの陰で、宮殿のスタッフたちも、出来限りの努力で調度類を運び出したそうです。
でもたくさんの部屋が火事で焼けてしまいました。
梁の一つは約1トンの重さて、床を抜けて2階下に落下。
その間にあったものすべてを破壊しました。
梁が落ちた部屋はカトゥーンギャラリーという部屋。
幸いにも、そこに展示されていた、ラファエロが書いた下絵はV&A に貸し出されていたので被害を免れました。
お隣の部屋にあったクリスタルのシャンデリアは床に落ちてバラバラになりました。
被害の総額は想像もつかない規模だったのです。
エリザベス女王、妹のマーガレット王女、そしてチャールズ皇太子はその日のうちに状況を見に来ています。
その日から約1年半は、焼け残りの回収に時間が使われました。
使えそうなものはとりあえず集められ、洗浄され、ラベルを付けて保存されました。
何と、火事の現場から集められたものの60%は再び元の部屋に戻ったのです。
さらに6年が修復に使われました。
その間にいろいろと面白い発見もありました。
例えば床下から見つかったたくさんの貝殻。
焼けた部分は、ロンドンのセントポール寺院などの建築で知られるクリストファーレンが約300年前に建てた部分です。
彼はその当時、防音のために貝殻を床下に詰めていたそうです。
これらの貝殻も、洗浄後、床下に戻されました。
修復のための建築方法や材料は伝統的なものが使われたそうです。
ただし、例外が一つ。
万が一、また火事に見舞われることがあった時のために、
屋根に小さな工夫が施されました。
約50個のテクノロジー管。
これは、必要に応じて煙や熱が出ていくシステム。
これは、必要に応じて煙や熱が出ていくシステム。
火事になっても温度が上がりすぎず、屋根に使っている鉛が高温で溶けたりしないようにといった工夫。
新しくなったキングスアパートメントはエリザベス女王が1992年7月に開館しました。
シャンデリアも焼け跡から破片を集めて修復されました。
ハンプトン宮殿、ロンドンからだとウォータールーから約30分。
お手軽に楽しめる観光地です。
個人的にはウインザー城よりもいいと思います。
ぜひ一度お越しください。
新しくなったキングスアパートメントはエリザベス女王が1992年7月に開館しました。
シャンデリアも焼け跡から破片を集めて修復されました。
ハンプトン宮殿、ロンドンからだとウォータールーから約30分。
お手軽に楽しめる観光地です。
個人的にはウインザー城よりもいいと思います。
ぜひ一度お越しください。
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