2017年6月1日木曜日

自分の一生なんだから、やりたいことをやればいい

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「四大元素、火」
一番左の女性の頭の奥、ドアが開いていて、奥のお部屋が見えます。

その部分がこの抜粋。
「マルタとマリアの家にいるキリスト」

これはルカによる福音書、10章 の後半部分です。

一同が旅を続けているうちに、イエスがある村へはいられた。するとマルタという名の女がイエスを家に迎え入れた。 

この女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、御言に聞き入っていた。 

ところが、マルタは接待のことで忙がしくて心をとりみだし、イエスのところにきて言った、「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください」 

主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。 

しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」


後光がさしているのがキリスト。
その前に座っているのがマリア。
立って文句を言っているのがマルタ。

普通のお客さまにはこの辺までしかお話しません。
宗教の話は、紹介程度に抑えておかないと話がかみ合わないことも多いし、説教臭く聞こえることも多いから。

なので、簡単に紹介した後、絵の世界に戻ります。



私、実はこのお話が大好きなんです。
楽しい人生を送るための、とてもいいヒントだと思っています。


皆さんは聖書からの抜粋部分を読んで、どう思いますか?

一人で働くマルタがかわいそうとか、いいとこ取りのマリアはずるいとかが、よく聞かれる意見。


でもね、キリストをもてなそうと考えたのはマルタ自身。
マリアが「お姉ちゃん、私は先生のお話が聞きたいから、お姉ちゃんがお料理担当ね、よろしく~」そんな風に言ったわけではありません。
キリストが「マルタ、私のためにもてなしの用意をするように」そういったわけでもありません。

何で、自分で決めたことなのに、自分だけが云々って思うのかな?
自分が正しくて、他人は間違っているって思い込みに聞こえます。
わざわざキリストに言うあたりも、キリストに自分が正しいって言ってほしいのかな?


自分が苦労している時、楽しそうな人をうらやむことがあります。
でも、それは自分で選んだこと。

自分も楽しくなればいい。
マルタだってキリストをもてなすことに喜びを感じればいい。
手伝ってほしいなら、素直にマリアにそう言えばいい。
マリアが手伝う気になるかどうかは別の話。

楽しくないなら作業は終えて自分もキリストの横に座ればいい。

そうしたら、やらなきゃいけないことは誰がやるの?
そう思うでしょ?

そんなの何とかなります。

いざとなったらパンもワインもキリストが用意してくれるって(笑)

その時々で何が一番大事かを考えるのは難しい。
あれも、これも、大事なことがたくさんあるように見える。

でも体は一つしかない。
今、何をするかは無意識でも意識してでも自分で選んでいる。
選択のない人生なんて無い。


私は普段から嫌なことはやらないって宣言しています。
人生一回だけなのに、楽しくないことする時間がもったいない。


他の人が手伝わないとか、
誰も自分を理解してくれないとか、
自分だけが嫌な目にあっているとか、

そう思う時は「誰かがやらなきゃいけないから、自分が貧乏くじを引きました」って感情が入っているからだと思う。

もし、ネガティブな感情が自分の中に芽生えたら、何が悪いとか誰が悪いって考える前にすることがある。



それは自分がどうしたいのか、自分にとって何が一番大事なのかを考えること。


やっぱりちょっと説教臭くなってしまった…(笑)

他人の心配をしたがる日本の文化では、少し受け入れがたい考えかもしれません。


でも、楽しい人生は簡単に手に入ります。
不幸だと思っている人は、自分の思い込み。



自分の一生なんだから、やりたいことをやればいい。

法に触れない範囲でね(笑)



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