2015年3月20日金曜日

父親は誰?

前回の記事で、セントジェームス地区について書きました。

このエリアはヘンリー・ジャーミンという人が17世紀後半に開発しました。
ロンドンの東で火災や疫病が流行ったりして、町が西に広がってきたのです。

時の王様はチャールズ2世です。
革命で殺されたチャールズ1世と奥さまのヘンリエッタ・マリアの子供。

…ということになっていますが…

実は怪しい。

噂ではヘンリエッタ・マリアには恋人がいたらしい。
それが、ヘンリー・ジャーミン。

巷ではチャールズ1世も弟ジェームス2世もジャーミンの子供だと噂されていました。

実際のところはどうなんでしょうね。
ちょっと肖像画を載せておきます。

まずは王政復古で王様になったチャールズ2世。
この人見るたびに、キャプテンフックを思い出してしまいます。
意志が強そうな目元で、油断できないニヒルな口元(笑)
なんだか悪役にぴったりって感じしませんか?

こちらは弟のジェームス2世です。
二人ともしっかりした鼻ですよね。
顎もがっしりタイプ。
でもこの人は気が弱い。
ウラオモテありそうな顔(笑)
名誉革命のときの王様で、戦わずに逃げ出した王様。

 こちらが彼らの父親(のはず)チャールズ1世です。
ピューリタン革命で処刑されました。

 そしてこちらがヘンリー・ジャーミンさん。
う~ん。
どうかなぁ?


チャールズ1世は浪費家で芸術作品などにも理解が深かった王様です。
たくさんのお金が必要なので、税金を新たにかけたりしたことも、革命の引き金になりました。

そんな自分のことを棚に上げて、奥さんに対しては
「無駄遣いが多い」とか「贅沢だ」など文句タラタラだったそう。
ただでさえ「外国人でしかもカトリック」だということで、お嫁入りをしたこの国で居心地の悪い思いをしていたヘンリエッタマリア。
彼女が慰めを見出したのがヘンリー・ジャーミンだったということです。
肖像画を見る限りでは、優しく話を黙って聞いてくれそうな感じ(笑)
ヘンリーの方がヘンリエッタマリアよりも5歳ほど年上。
チャールズはヘンリーよりも5歳年上。

フランス王家の末っ子のプリンセスとして贅沢に育った彼女です。
いろいろな文句を言う相手が欲しかったのかなぁ?





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英国公認日本語観光ガイド協会ではチャリティーツアーを行っています。 
詳しくはウェブサイト(リンクします)をご覧ください。     
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2 件のコメント:

phary さんのコメント...

こういう歴史の裏話(ゴシップ?)って大好きです。
肖像画を見る限りチャールズ2世はヘンリーさんに、弟のジェームズ2世の方は鼻とか目元がチャールズ1世に似ているような気がします。

miki bartley さんのコメント...

Phary さん、こんばんは。
昔のことなので、真偽のほどはわかりませんが、想像すると楽しいですよね。ゴシップって、歴史上の人物が急に人間らしくなるので、書いていても楽しいです。