2011年11月16日水曜日

最後の晩餐

あまりにも有名な、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品。
本物はミラノにありますが、実はかなり精巧な、別の画家によるコピーがイギリスに存在します。
ミラノにあるものと違って、保存状態がかなりいいので、今回のナショナルギャラリーの「ダヴィンチ展」にもコピーが展示されています。
ここに載せているのはウィキから借りてきたもので、ダヴィンチの方。
イギリス版は、もっと色鮮やかでした。

舞台は過越し祭、これは昔ユダヤ人たちがエジプトを脱出する前に、神がエジプト人たちに災いをもたらす際、ユダヤ人を過ぎこしていくように各家に印をつけたというものから始まりました。
しるしは玄関に羊の血を塗るのですが、生贄の選別の仕方からその後の調理法、残り物の始末の仕方まで細かく定められています。
そして登場人物はキリストと12人の師徒たちです。
キリストを中心に3人ずつが4つのグループに分かれて左右対称にバランスよく配置されています。
人物だけではなく、室内のインテリアにもバランスがあって、ドラマチックなシーンの割には、クールといえるほどの静寂を感じることができます。
キリストの背景には窓、もしくは戸口があり外からの明かり(=天=神)が彼の背後にあることを表しています。
そしてその上にあるのは半円形の壁の飾りですが、あたかも中世のイコン画に出てくる後光の縁のようです。
ルネッサンス期に絵画は大きな飛躍を見せて、これまでの平面的な絵画から奥行きのある実写的なものに代わっていきました。
このために、まるで登場人物が、実際にそこにいるような親近感が絵に生まれたのですが、かわりに神秘性を失ってしまいました。
ここでは、入り口のアーチの飾りを描き加えることによって、実写性を失わずに、キリストに神聖を加えることに成功しています。
この絵を見る人はもちろん中心にあるキリストと最初に対面するわけですが、その後はここで起こっているドラマを追っていきます。
その際にどこから始めればいいでしょうか?
聖書の登場人物にはそれぞれアトリビュートといってシンボルが決められています。
細かく絵を見ていくことによって、小さなオブジェのひとつひとつがヒントになっているのです。
もちろんそれら以外にも聖書の中の文章なども参考にする必要があります。
それでは左から順に(体の順番と顔の順番が違ってきますからここでは顔の並びでいきます。)一人ずつ見ていくことにしましょう。1、立ち上がって身を乗り出しているのがナタナエル、別名バーソロミュー、真のイスラエル人と形容された人。
2、小ヤコブ、英語読みではなぜかJamesThe Less〔ちょっと可哀想な名前だけど、聖書にも名前ぐらいで重要人物ではなさそう・・・〕
3、アンデレ、V&A のラファエルのタペストリーの中で、船の上にセントピーターと一緒にいる人。
ピーター〔聖ペテロ〕と共に一番弟子なので、みんなの中に裏切り者がいるって言われて誰よりも驚いています。
「手の内を見せてる」って事はこの人は何も隠すことがないということ?
いつもピーターとセットで出てくるので、重要な割には影の薄い存在です。4、イスカリオテのユダ、裏切り者で財布を握り締めています。
体はキリストから遠ざかろうとしているのとあわせて、彼よりもお金を選んだというのがよく解ります。
5、ペテロ〔セントピーター、シモン〕キリストの隣にいるヨハネに何かささやいてますが、これは裏切り者は誰かキリストに尋ねるようにいっているところ。
聖書の中では合図するだけなんですが、ちょっと描くのが難しかったのでしょうか?
6、ヨハネ、聖書の中で「イエスの愛する弟子」という形容で登場するのでいろんな噂が飛び交ってます。
特に、ダヴィンチは性的にはかなりオープンだった為か〔24歳の時にゲイで告発される〕ヨハネをかなり〔他の使徒たちに比べて〕美形に描いています。
ダヴィンチ・コードの中では、この人物がマグダラのマリアということになっていますが、ヨハネを特に美形に描いているのはダヴィンチだけではありません。
それ以外の、例えばゲッセマネの園をテーマにしたものなども、殆どの画家はヨハネを若く美しく描いています。
聖書になじみのない日本の方は、洗礼者ヨハネとこのヨハネを混同しがちですが、勿論全く別人です。
この人はまた一番長生きした人で、確か90歳を超えてから亡くなっています。
そして、福音書の4つ目を書いたのもこの人です。
4つの福音書の中でも、一番物語性に富んでいて(つまり信用できないって事?〕そのためにルネッサンス期だけではなく、あらゆる芸術家が「ヨハネ書」から題材をとっています。
ダヴィンチのこの作品も「ヨハネ書」13、14です。
中央がキリスト。
8、トマス、この人には「疑い深い」という形容が付いてきます。
天を指しているのは「どこへ行くのですか」ってキリストに尋ねるシーン〔ヨハネ14-5)があるので、に対する答え〔自分で答えるわけないんだけど・・・〕を表して彼自身を位置づけているのではないでしょうか?
ちょっとこじつけ?
この人は、キリストのわき腹の傷に指を入れるまで、復活したことを信じなかった人です。
だからこの人差し指はキリストの受難を表しているとも言われています。
9、大ヤコブ、英語ではジェームス・ザ・グレート、6番のヨハネの兄弟で、彼と5番のペテロと共に、ゲッセマネの園まで一緒にいます。
10、ピリポ、「私たちに御父をお示しください」っていってるところ。
手の向きでキリストよりも自分自身のほうに関心が向いているのがわかります。11、マタイ、1つ目の福音書の著者、徴税人から弟子になった人。
12、タダイ、もしくはユダと呼ばれることも。
この人はマタイ伝では小ヤコブの子供として、ルカ伝では彼の兄弟として登場しますが、ユダという名前が紛らわしいので聖人としての人気は今ひとつです。
13、最後が熱心党のシモン、武器を取ってローマから独立しようとした政党です。
この最後の3人はお互いの議論に熱心でキリストのほうは無視しているように見えますが、やはり手の向きで話している内容はキリストのことであると思われます。
この少し前に「誰が弟子の中で一番偉いか、議論があった」と聖書に出てきますが、私は、これがそうではないと思います。
そしてこの手の向きによって私たちの視線は中心に戻ってくるわけです。

個人的な意見ですが、ルネッサンスの巨匠と呼ばれる芸術家たちが、それまでの人たちと全く違うのは、絵を見る人たちに対する、この視線の誘導だと思います。

そして、忘れてはいけないのは、この作品を注文したイルモーロは、この部屋で食事をしたということ。
こんな風に、作品だけを取り出して、いろいろな説明を加えることは簡単ですが、やっぱり「どこにどんな風に飾られていたか」というのは重要です。

この作品の真上には、イルモーロの家紋がダヴィンチによって描かれました。
そして、イルモーロ自身がキリストの真下に座ることによって、列席者は彼自身の立場を再認識する仕組みだったわけです。

普通のフレスコでは、漆喰が乾く短時間に色を乗せないといけなかったのに対して、ダヴィンチは壁に卵テンペラとオイルで作品を作り上げました。
ゆっくり作品を仕上げることが出来た代償は大きなもので、この作品の劣化は完成直後から始まったようです。
そして、フランス王の侵攻によって、イルモーロもミラノを追われることになりました。

2 件のコメント:

かんとく さんのコメント...

この記事は秀逸ですね。とっても勉強になります。ありがとうございます。キリスト教や神話がらみの絵は、シンボルが多いので、なかなか難しいですよね。

miki bartley さんのコメント...

かんとくさん、こんにちは。
この記事は以前書いたものに、少し手を入れたものです。
今回のダヴィンチ展で見たものを少し加えてあります。ミラノの本物の写真と、オクスフォードから持ってきた、別の画家の本物(ヘンな言い方ですよね?)は、本館の方に展示されていました。
これを観る前に、先に横で上映されているミニ映画を見たほうがいいと思います。
(ミニ映画はセインツブリー館にもあります)
チケットは2箇所(セインツブリー館と本館奥)でチェックがありますから気をつけてください。