
これはロンドンの国立美術館にあるボティチェリの作品のひとつで、「ヴィーナスとマルス」というタイトルです。
69.2 x 173.4 cmという、かなり横長の作品です。
国立美術館にはメインの旧館と、その西側に建増しされた新館があるのですが、この作品はその他のルネッサンス期の板絵と伴に新館に展示されています。
そして「ヴィーナスとマルス」の前には日本風に言うと長持(ながもち)が置かれています。
それはこの作品がおそらく長持にはめ込まれていたか、ベッドの背板であっただろうということで、イメージをより掴みやすくするためです。
ボティチェリはフィレンツェで主に活躍して、たくさんの作品が今でもウフィッツィ美術館に収められています。
フィレンツェで幅を利かせていた、ロレンツォ・メディチの亡くなる前と後では、彼の作品のテーマが全く変わります。
ロレンツォの政策で平和を享受していたフィレンツェは、彼の没後、反ルネッサンス的なサヴォナローラという黙示録的なお坊さんの下で、それまで街にあふれていた全ての贅沢や虚飾を排除しようとします。
ボティチェリの作品は、前半は貴族趣味、後半は硬い宗教画が殆どです。
「ヴィーナスとマルス」は日本の時代で言えば応仁の乱のすぐ後、有名な一休さんの亡くなった頃に描かれた作品です。
彼もお坊さんなのに、お妾さんがいたり、実子を弟子にしたり、ルネッサンスのイタリアを日本でやっていたような人でしたが、西でも東でも宗教と国政の関りにひびが入った時期だったわけです。
バックグラウンドはこれくらいにして、実際に作品を見てみましょう。
このリンクで
国立美術館のサイトにリンクします。
作品をズームして見ることができます。
貴族趣味と書きましたが、この時代のお金持ちの人たちの関心が凝縮されているのがこの作品なわけです。
まず、ヴィーナス。
この凝った髪形を見てください。
まず自分で結ったわけではないでしょうね。
専門の係りが、時間をかけて結い上げてくれるスタイルです。
そして後ろから三つ編みにした髪がドレスの襟に沿って、パールで飾られたブローチでまとめられています。
このブローチはドレスの留め金にもなっていて、これを外すとドレスはハラリと落ちるはずです。
裸をそのまま描くよりも、この方が官能的だと思ったに違いありません。
暇はたっぷりあるわけです。
ですから結果よりも、そこへたどり着くまでの手間が大切。貴族趣味の基本です。
彼女がヴィーナスだ、ということは実ははっきりとは描かれていません。
その美しさだけです。
暗示としてほら貝が描かれていますが、少し理由としては弱いですね。
少し前の作品でボティチェリはヴィーナスの誕生を描いていますが、彼女は海を背景に貝の上に立っています。
実はバックグラウンドに見える緑の芝生(に見えるでしょう?)は海なんです。
ボティチェリがケチってラピスラズリを使わなかったので、変色して緑になっていますが、実際は描かれた当初は青だったことが、研究で明らかになっています。
兜をかぶっていない、2人のサテュロス(下半身が獣の子供)の間を見ると、島の手前にうっすらと船が描かれて、海であることがわかります。
男性はマルス。
戦いの神様で普通は鎧を身に着けていますが、今回は裸。
脱がなきゃ出来ないことをしていたってことです。
それは胴丸の中に入り込んでいるサティロスや、彼の身体を覆っている布に打ち込まれた太い杭で暗示されてもいます。
タマにこの絵が婚礼のプレゼントのひとつだった、という説がありますが、本当かな?
というのはヴィーナスとマルスはカップルではありません。
つまりこれって浮気の現場?
ということであれば、マルスの頭近くにある、スズメバチの巣と、飛び回っている蜂は痛い結果になるという戒めかもしれません。
蜂はイタリア語でヴェスパ。
パトロンの1人、ヴェスパッチ家のことだという人もいます。
実はモデルの女性、彼女の名前はシモネッタ・ヴェスパッチ。
このおうちのお嫁さんです。
ボティチェリのお気に入りのモデルで、有名なヴィーナスの誕生も彼女。
フィレンツェきっての美人と評判だった人。
そしてマルスのモデルは社交界の美男子ジュリアーノ・メディチ。
今のイギリスで例えたら、ディヴィッドベッカムとハリー王子を足して2で割ったような人。
そしてこの二人の関係もヴィーナスとマルスのようだったとか???
ボティチェリは見かけの美しさを追求して、写実的なことは結構おざなりにしています。
例えば最初に見たヴィーナスの服の襟。
こんなデザインは実際には不可能です。
また彼女の右足は完全に欠落していますし、マルスの足の細くて短いこと!
ちょっとこの身体を支えきれるとは思えません。
でも全体のバランスからすると、そんなことはつまらないことなんです。
でもルネッサンス後期には、すでにボティチェリは他の画家に追い越されて忘れ去られてしまいました。
ですからイタリア絵画を主に買い集めた、国立美術館の初期のリストには、この作品は入っていません。
ヴィクトリア時代後半に入ってから、ラファエル前派の影響を受けて、ボティチェリに再び人気が集まるのを待たなくてはいけなかった訳です。