2012年2月23日木曜日

モリスのキャビネット

これは、ウイリアム・モリスが絵を描いたキャビネットです。
制作は1862年。
V&Aで見ることが出来ます。

ウイリアム・モリスはヴィクトリア時代の芸術家。
詩人、画家、印刷家、内装デザイナーといった風に芸術のいろいろな面で活躍しました。
また、格差の広がっていた社会での啓蒙運動にも力を傾けました。

英国は1851年に催された、世界で初めての万国博覧会に代表されるように、世界のトップに立っていました。
産業が盛んになって、人口が急に増えて、生活のあらゆる場には、機械で大量生産されたものが溢れていました。

モリスはそんな中で、中世の時代のような職人芸の「手作り」を見直そうと考えました。
いわゆる「アーツ&クラフト運動」です。
大学時代の仲間から広がった、取り巻きのサークル仲間を集めて会社を作り、アートを楽しんでいました。
儲けにならない趣味半分の会社だったものが、折からのゴシック流行もあって、特に教会のためのステンドグラスに人気が出ます。
人口が増えると教会も必要になりますから、ヴィクトリア時代は教会の建築ラッシュ(新築・改築も含め)でもあったわけです。

このキャビネットが作られたときは、まだモリスはいろんな方向性を模索していた時期です。
ある時、家具に絵を描けばいいんじゃないかというアイディアが浮かびます。
ルネッサンス後期になるまで、ヨーロッパでは家具といえばベッドとテーブルと椅子程度。
お金持ちの家には日本語でいわゆる「長持」がありました。
昔は長持やベッドに彫り物や絵を描いたりして飾ったわけです。
以前、ナショナルギャラリー所蔵の「ヴィーナスとマルス」の絵をご案内しましたが、あれも長持の飾りに描かれたものです。
そのお話はこちら

このキャビネットの絵柄ですが、テーマはセントジョージ。
騎士道とか、アーサー王の伝説が好きだったので、何となくその路線。
ただ普通のセントジョージものではドラゴンをやっつけているところが大きく描かれるのですが、これはちょっと違います。

鎖に繋がれて、泣いている女性。
これは、王様の一人娘。
国を荒らすドラゴンをなだめるための生贄に選ばれてしまったのです。
でも大丈夫。
セントジョージがドラゴンをやっつけて、助けに来てくれました。
戦闘シーンはなし(笑)
そして仲良くふたりで暮らしましたとさ。
めでたしめでたし。
この女性、モリスの奥さんジェーンがモデルです。
そしてもちろんセントジョージはモリス自身。
1857年秋、オクスフォード大学の部屋の内装の仕事をしていた時に、馬番の娘である彼女を見初めて半年後には婚約、1年後に結婚しました。
友人のひとりが「トプシー(モリスのあだ名)は出会った途端、全く彼女に参っちゃったのさ」と家族にあてた手紙の中に書いています。
裕福なモリスとワーキングクラスのジェーンのカップルは周りの友人達を心配させました。
共通点がまるでない二人でしたし、もとはジェーンはモリスの友人の一人、ロゼッティーと仲が良かったのです。

このキャビネットをロンドンの博覧会に出展して、モリスの人気が出始めるのが1862年。
1862年初夏に2人目の子供を生んだ後、ジェーンはロゼッティーのモデルに戻ります。
ロゼッティーの妻がアヘン中毒で不幸な死を迎えたのも1862年。
モリスの描いた絵のようにはいかなかったようです。

2 件のコメント:

rottenmeier さんのコメント...

この三角関係の話は聞いたことがあります。美しい人だったのでしょうね。マイフェアレディーの原点がジェーンだったという説もありますね。あの頃上流階級と結婚するワーキングクラスの女性はきっと話し方ひとつにも気を使わなくてはならず大変だったでしょうね。
ウィリアムモリスのアートアンドクラフト運動からアールヌーボ、バウハウスに至る一連のヨーロッパの芸術活動はとても興味のあるエポックですね。あの時代に生まれてみたかったと思います。

miki bartley さんのコメント...

ロッテンマイヤーさん、こんにちは。
マイフェアレディーのお話は知りませんでした。
今よりもずっとクラスがはっきりしていた時代だったでしょうね。
ジェーンに、150年後の今、ウイリアム王子様が炭鉱夫の子孫と結婚したことを知らせてあげたいですね(笑)
アーツアンドクラフトは今でもイギリスで大変人気があります。
そしてそれに続くデコの時代のものも。