2008年5月16日金曜日

ボイン川の周り


ゴルウェイから電車に乗ってダブリンに行こうと思っていたのですが、結局また車をチャーターしてしまいました。
目的はダブリンの北を流れるボイン川の周辺です。
そこを経由してからダブリンに入ると、一旦ダブリンに入ってからタクシーを手配するよりも、ずっと効率がいいと思ったからです。
ボイン川の流域はアイルランドの中でも一番肥沃な土地です。
新石器時代が始まって、人々が定住するようになったのは、それまでの狩や漁の生活に加えて耕作という観念が出来たからです。
自然と、モノがたくさん出来る場所に、人が住みつく様になった訳です。
今から5000年以上前に、そんな人たちが作ったモニュメントの一つが「ニューグレンジ」です。
これは神殿だとか、お墓だとか、それ以外にもいろんな説がありますが、「百聞は一見にしかず」というのがぴったりな場所です。実際に行って、自分の目で確かめてください。技術のすばらしさには目を見張るものがあります。
中がとても狭いので、係員に連れられた、限られた人数しか入ることは出来ません。
残念ながら中の写真は禁止なので外だけです。
ここからすぐ傍には1690年のボイン川の戦いの跡があります。
アイルランドの歴史は複雑です。
まだ独立してから100年もたたない国ですが、その前はイギリスの領土でした。
そして名誉革命の後に起こったジャコバイト反乱の拠点のひとつになりました。
これは簡単に言うと、王位を奪われた王様(カトリックの王子様のパパ)と王位を奪ったその娘(旦那共々プロテスタント)の戦争です。
せっかく味方をしてあげたのに、この王様ジェームス2世はこの戦いで負けた後、さっさとフランスに逃げてしまいました。
かわいそうなアイルランド軍は、そのあと1年ほど戦争を続けて、結局リムリックで降伏の条約を結ぶわけです。
この辺りが肥沃な土地だということで、ケルトの王様たちもこの辺りがお気に入りでした。
そこでこの辺りの王様がアイルランドの王様、みたいになったわけです。
そしてそれを見渡せる丘で儀式なんかも行われました。ただケルト系の人たちは、中央政権に馴染みがないので、長くは続かなかったみたいです。
でも象徴としての王座、見たいな感じでここは有名になりました。
名前はタラ。
「風と共に去りぬ」に出てきますよね。
アイルランドの心のふるさとです。
お勧め度ですが、
ニューグレンジが10点ならボイン川の戦いは5点、タラは2点。
車があればダブリンから日帰りで3つとも堪能できます。

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