ということで、改めてゴッホのおはなし。
パッと見れば痛々しい絵ですよね。
普通、けがをしたことがはっきりわかる自画像を描こうなんて気になります?
しかも、そのけがは自傷行為。
いったいどんな気持ちでゴッホは筆をとったんでしょう?
「ゴーギャンに捨てられたかわいそうな僕を見て」って自虐的に描いたのかな?
でも、もしそうだとすれば、背景にごちゃごちゃ他のものを入れずに、その当時ゴッホが気に入っていた、補色を壁紙のような背景にして、もっと自分を際立たせることもできたはず。
ゴッホがこの絵を描いたのは1889年の1月7日直後だと言われています。
ゴーギャンとの口論の後、自分の耳を切った事件が12月23日なので、その約2週間後です。
ゴッホが切った耳を紙に包んでなじみの売春宿に託したことから警察が介入して、部屋で意識のないゴッホが発見されるといった経緯。
発見された後、彼はアルルの私立病院に2週間ほど入院することになりますが、そこを退院したのが1月7日というわけです。
1月7日に書かれたテオへの手紙では友人のローランがよくしてくれたことや、その日の夕食を共にしたことと併せて、翌日から絵を描き始めるつもりであることにも触れています。
その同じ手紙で、ゴッホは静物画から始めるつもりだと書いているのですが、実際にはこの自画像を描いて画家をあきらめない決意を表したようです。
自分との約束。
包帯の側にイーゼルが置かれているのが見えますよね。
キャンバスにはまだ色がない。
つまりこれから描くってことじゃないかな。
そして右手側には浮世絵らしいものが見えます。
この作品は実際にゴッホが持っていたもの。
でも、現在では失われてしまったそうです。
この自画像に浮世絵を入れたのは、次に描く題材を示唆したんだと思います。
実はナショナルギャラリーの所蔵ではなくプライベートのコレクションからのローンです。
弟テオからお金だけではなく、画材やその他のものなども送ってもらっていたゴッホですが、1888年の9月にもいろいろと「日本のもの」を受け取っています。
9月22日のテオあての手紙にそのお礼と Le Japon Artistique(日本の芸術を紹介した雑誌) の編集者についての言及があります。
テオからこの雑誌を送ってもらっていたことは何かで読んだことがあるので、私はてっきり蟹の表紙の号を思い浮かべていました。
インパクトがあるし、なんとなくゴッホが好きそうな感じがしたので。
この浮世絵は leJapon の表紙のひとつで八島岳亭という人の作品。
でも調べてみたら、ゴッホが題材のひらめきを受けたものではないみたい。
というのもこの浮世絵が表紙だったのは1890年の4月号の表紙でした。
ということは1889年の1月に描かれた絵のインスピレーションにはなり得ません。
なので、テオが送ったという1888年の5月号と6月号を調べてみました。
この雑誌、5月が初版なので6月号が2号目なんです。←ちょっとややこしい(笑)
ここに出てきます。
そりゃそうです。
アルルはプロヴァンス地方なので地中海が一番近い。
ゴッホは地中海で普通に捕れる蟹を市場で買ってきたそうです。
日本の蟹とは違って当然。
ということで、ゴーギャンがいなくなった後も頑張ろうって思って描いたゴッホの自画像が最初に紹介したコートールドのものということなんです。
そして、ちゃんと静物画も描いた。
それなのに、世間はゴッホに冷たい。
アルルの住人達がゴッホを追放する運動を始めたんです。
30人以上の署名を集めてゴッホを糾弾する嘆願書が作られてアルルの市長に届けられたのが1889年2月。
「狂った赤毛」とあだ名されていた外国人のゴッホは、嘆願書にも間違った名前が記載されていました。
酔うと何をするかわからない危険人物で女性や子供が危ないので隔離か追放を望むという訴えでした。
嘆願書の後はすぐに病院の独房に隔離され、黄色い家は警察によって封鎖されてしまいます。
その後ゴッホはサンレミの療養所に移る決心をするのでした。
以前書いたゴッホ関連の記事をリンクしますね。
お時間があればどうぞ😉
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