2025年9月4日木曜日

王立海水浴病院???

「王立」「海水浴」「病院」
その一つ一つの意味は解るんだけど、全部くっつけると「???」になっちゃう。

でもそんな場所がイギリスにはあるんです。
いや、あったんですといった方がいいかな。


場所はマーゲイト、ロンドンからは南東、ケント州の海辺の町です。
駅を出たらこれは西側に5分くらい歩いたところ、マーゲートは海水浴場としても有名で、そちらは駅を出たら北東に歩くとすぐ。
先日、きれいに晴れた日にこの写真を撮りました。

王立海水浴病院は1791年に創立された肺外結核患者のための屋外療養施設がある、もし世界初でなければ少なくとも国内初の施設でした。

私は結核というのは肺の病気だけだと思っていたのですが、結核菌はいろんな場所に病気を起こすらしい。
首にできるリンパ節炎以外にも他の臓器(腎臓、骨、脳など)に炎症が及ぶこともあるそうです。

この病院の提唱者はジョン・コークリー・レティソンという医師で、カリブ海生まれのクェーカー教徒。
病気を治すために日光と新鮮な空気、そして海水浴が効果的だと提唱しました。

海水浴が身体にいいことは、イギリスでは16世紀ごろから言われていましたが、本格的に勧められるようになったのは18世紀に入ってから。
初めに人気になった場所はブライトンです。
特に当時皇太子だったのちのジョージ4世が滞在するようになってから、上流階級のたまり場にもなりました。
その当時の海水浴は今と全く違います。
海水浴にはバシング・マシーンという馬にひかせた小屋のようなものを利用していました。
海岸でこの小屋に入り、中で着換えをしてある程度の深みへ進むまで小屋内で待機、そして海水に浸かります。
その後小屋に戻って小屋ごと海岸に戻ってくるというシステム。
えらく面倒ですね!
これもそうなんですが、古くから海水浴で有名な場所の郷土資料館などに行くと、昔の絵葉書が収集されていたりして当時のシステムがよくわかります。

この王立海水浴病院でもバシング・マシーンが利用されていました。
建物にはバルコニーもあって、そこで日光浴もできるようになっていたようです。

初めは約30人の入院患者を収容できたそうですが、のちに規模が大きくなってたくさんの増設が行われました。
19世紀半ばにはポンプで海水を屋内に取り入れることができるようになったので、夏期のみの病院から通年で利用できるようになりました。
そんな海水プールも増設された部分です。
ギルバートスコット(イギリスの有名な建築家)が担当したチャペルもあります。

この病院は結局他の総合病院に吸収されてしまい、20世紀の終わりには建物をどうするかでひと悶着あったようです。
結局、建物は売却されて2016年には分譲マンションとしてリースの販売が始まりました。

1LDKから3LDKくらいの規模が主で、ロンドンから比べるとずいぶん安い。
海が見える2LDKの物件(93平米)で7500万円程度。
見取り図はこんな感じ。

この物件の室内写真です。

上のに比べると海が見えなくて少し狭い(53平米)けれど、もっと安い物件もあります。
こんな感じの物件で同じく2LDK で3000万円程度。

定年を迎えた後に海の近くで過ごしたいならお手頃ですね。

2025年9月2日火曜日

苦情のお手紙を観てきたよ!

大英博物館には面白いものがたくさん展示されています。
気が付かずに通り過ぎてしまうともったいない!

でもね、似たようなものが並んでいて、そんなに(一般の人から見て)見栄えしないものだと通り過ぎちゃいますよね。

例えばこれ。

どこが面白いの?

この右端の粘土板、ギネスブックに載っているんですよ!

実はこの粘土板は紀元前1750年代ごろに楔形文字で記された、世界最古の苦情のお手紙(驚)

ナンニさんが銅の買い付けに際してその品質とカスタマーケアについて文句を言っている内容です。

この粘土板が見つかったのは古代都市ウル。
アガサクリスティーが発掘調査隊に参加して、彼女の自伝にも詳しく記したあのウルです。

このウルを居にしていた商人にエア・ナシルという人がいました。
彼が苦情を受け取った人。
古代のメソポタミアでは日常生活に欠かせないのに採れないから遠くから運ばれて貴重だった銅、その取引に関する苦情です。

では何と書かれているか。
わかりやすく単純に箇条書きで書きだしますね。

1,良質な銅を売るといったくせに、使者に差し出された銅はその価値がなかった。

2,その時の使者に対する態度が悪かった。

3,返金の要求のための使者も何回も手ぶらで送り返した。

4,テルムンのいろんな商人と取引をしているが自分をこんな風に扱うのはあなただけ。

5,あなたの代理で宮殿と神殿に1080ポンドずつの銅(おそらく取引税)を支払った。

6,とりあえず全額返金して。

7,今後の取引は自分の領地内で自分で銅を選定します。

8,今後対応が変わらないのならあなたとの取引はもうしません。

途中に些細な額の銀でもめたようなことも書かれています。
どの程度このエア・ナシルさんが悪徳商人だったかはわかりませんが、大英博物館には他にも彼の名前が出てくる粘土板を所蔵しています。
残念ながら、それらは展示がされていません。


古代のアッカド語(しかも楔形文字)を研究者が英訳した全文はこちら。
"Tell Ea-nasir: Nanni sends the following message:
When you came, you said to me as follows : “I will give Gimil-Sin (when he comes) fine quality copper ingots.” You left then but you did not do what you promised me. You put ingots which were not good before my messenger (Sit-Sin) and said: “If you want to take them, take them; if you do not want to take them, go away!”
What do you take me for, that you treat somebody like me with such contempt? I have sent as messengers gentlemen like ourselves to collect the bag with my money (deposited with you) but you have treated me with contempt by sending them back to me empty-handed several times, and that through enemy territory. Is there anyone among the merchants who trade with Telmun who has treated me in this way? You alone treat my messenger with contempt! On account of that one (trifling) mina of silver which I owe(?) you, you feel free to speak in such a way, while I have given to the palace on your behalf 1,080 pounds of copper, and umi-abum has likewise given 1,080 pounds of copper, apart from what we both have had written on a sealed tablet to be kept in the temple of Samas.
How have you treated me for that copper? You have withheld my money bag from me in enemy territory; it is now up to you to restore (my money) to me in full. Take cognizance that (from now on) I will not accept here any copper from you that is not of fine quality. I shall (from now on) select and take the ingots individually in my own yard, and I shall exercise against you my right of rejection because you have treated me with contempt.”


興味があるなら読んでみてください。




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