ダン・ブラウンの小説(そして映画)で一躍有名になったテンプルチャーチ。
1年に一度あるかないかといった頻度。
でも歴史のある教会なのでキリスト教の歴史や十字軍の遠征などに興味があるならぜひどうぞ。
ウエストミンスター寺院やセントポール大聖堂に比べると入場料も低めの設定で、それも嬉しいです。
2025年9月の時点で;
ウエストミンスター寺院 31ポンド
セントポール大聖堂 26ポンド
テンプルチャーチ 5ポンド
まあ規模は全く違いますけれど、歴史といった面で見ればそれほど引けを取るとは思わない。
少し写真を紹介します。
テンプルチャーチは十字軍の遠征で護衛を務めた騎士団の教会として始まりました。
教会にはエフィジーとよばれる記念碑がいくつかあります。
ダ・ヴィンチ・コードの中でトム・ハンクスが「これらはお墓じゃない、エフィジーだ〜っ」って叫ぶあれです。
そして見えないところにたくさんのお墓があって、何体埋まっているのかは誰にもわかりません。
ヴィクトリア時代にそんなお墓の大部分はまとめて移葬されました。
現在ここの牧師さんのお庭として使われている部分がそう。
わかりやすい様に牧師さんと書きましたがこのテンプルチャーチは「ロイヤルペキューリア」つまり大聖堂などに帰属しない王室直のチャペルです。
それに騎士団の歴史も加わって Vicar(牧師)ではなくReverend and Valiant Master of the Temple(テンプルの尊厳と勇敢なマスター)というのが正式名称😂
この写真、奥がウイリアム・マーシャル、そして手前がその息子。
損傷が激しいのは第二次世界大戦の時に爆撃の被害を受けたから。幸いなことに、ヴィクトリア時代にコピーがとられていて、それらが本物の横に展示されています。
ウイリアム・マーシャルはマグナカルタの調印前に内乱状態にあった諸侯とジョン王とをとりなした人物で、ジョン王が亡くなった後は子供だったヘンリー3世の摂政としてマグナカルタを再調印したり、いろいろな功績があります。
ウイリアム・マーシャルはマグナカルタの調印前に内乱状態にあった諸侯とジョン王とをとりなした人物で、ジョン王が亡くなった後は子供だったヘンリー3世の摂政としてマグナカルタを再調印したり、いろいろな功績があります。
昔は教会の入り口だった扉。
ステンドグラスは第二次世界大戦の折に破壊された後にシティーのギルドWorshipful Company of Glaziers から寄付されたものです。
色が深いので中世のガラスだとわかります。
爆撃を受けた教会の瓦礫の中からガラスを集めて、それを再構成したものだそうです。
製作はカール・エドワーズさん。
爆撃を受けた教会は無残な姿でしたが、ステンドグラスだけではなく、オリジナルの素材や残骸を駆使して元の姿によみがえりました。
この写真はテンプルチャーチの公式ウェブサイトから。
1941年5月10日の爆撃の跡です。小さな教会なので1時間ほどで見学することができます。
気を付けなければいけないのは開いている時間。
レビューにも「いつ来ても閉まっている」という苦情が結構あります。
訪れるならウェブサイト(リンクします)をチェックしてから。
毎週ではありませんが、金曜日に教会のトークがあったりするので、それを聞きに行くのもいいかも。
独立した教会ではなく、インナーテンプルとミドルテンプルに属した教会なので夏休みがあったりします。
聖歌隊で有名だから礼拝に参加したいなら、こちらもウェブサイトで日程をチェックしてからの方が確実です。
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