2012年3月27日火曜日

目の手術

ここ1週間ほどちょっと目の調子が悪かったので、オプティシャン(イギリスのオプティシャンというのは、眼鏡屋さんとかコンタクトレンズ屋さんで目の検査をする人)に予約を入れて、ちょっと検査してもらいました。
「オリンピックの受験勉強のせいかなぁ?(そんなことはありません、念のため)」
と思って、あまり気にしていなかったのですが、どうも、ちょっと視力が落ちたようです。
具体的に言うと、左目で文字を読むのが難しいのです。
アルファベットが何重にか重なって、まるでロシア文字のように見えます。
全体に霧がかかっているようだし、それに飛蚊症も進んだみたい。

私はよく目の色が明るいと言われるのですが、その理由は瞳孔が極端に小さいからなんです。
この検査の時も「瞳孔が小さくて眼底がよく見えないから、病院で目のお医者さんに、ちゃんと診てもらって」といわれました。
そこで、その足でロンドンの目医者さんの本拠地「Moorfields Eye Hospital」に行ってきました。
ロンドン市(金融街)の北側にあります。

そこで、キチンと検査をした結果、私の左目は「若年性白内障」と診断されました。
普通の白内障は水晶体の全体が白濁するのですが、若年性の場合は部分的に白濁して、それが急速に広がるのが特徴ですって。
「ちょっと見にくい」のレベルから「あれっ読めない」の期間がごく短かったので変だと思ったのです。
ちょうど、オリンピックの資料など、細かなものに目を通していた時だったので、気付くのが早かったかもしれません。

お医者様からは、手術をするにしてもすごく簡単だし、程度によるけどコンタクトレンズとかで調整もできるから、そんなに心配しないように言われました。
デモね「それよりも飛蚊症がひどいっていうのは変だから、そっちの方が気になるので、明日、網膜の専門家に検査してもらいましょう」だって。
飛蚊症というのは、明るいところで虫が飛んでいるみたいに見える症状のこと。
私は小さい時からあるので、気にもなりません。
でもごく最近、その虫みたいなふわふわが、ずっと大きく濃くなってきたのです。

翌日検査をすると、「網膜に裂傷があって、剥離の原因になるかもしれないから、今からレーザー手術をしましょう」ということになりました。
網膜剥離というのは、失明に繋がる恐れがあります。
ティムちゃんは「片目がなくなってもみきちゃんが大好き」とか、「キルビルにもアイパッチの女の人が出てきてカッコよかったし、女海賊みたいになるのもセクシーかもしれない」なんて何の慰めにもならないことを言うし、もう、パニックです。

これが土曜日の朝の話。
レーザー手術といっても、照射だけなので、10分くらい?
あっという間。
痛くはないけど、その後はかなりしみるカンジ。
瞳孔をいつもより大きくしているので、眩しいのがちょっと辛かったのですが、たいしたことありません。

検査だけだと思っていたので、この日は午後からはエミレイツでアーセナルの試合を見る予定だったのですが、結局処置が終わったのは午後3時半。
もう、キックオフから30分も経っています。
タクシーを飛ばしてエミレイツまで10分ちょっと。
なので、後半の45分には間に合いました。

あさってプライベートの目医者さんに予約を取ってあるので、網膜の経過を診てもらって、4月中ごろまでには白内障の手術も受ける予定でいます。
白内障の手術は、NHS(国民健康保険)の病院で受けると無料ですが、6ヶ月以上の待ち時間が当たり前。
全ての先生のクオリティーがいいのは理解していますが、自分の好きな先生を選ぶことはできません。
おまけに担当の先生は1人ではなくてチームになるので、問診と手術の先生も違うし。
そこで、他の手術に比べると、プライベートを利用する人の割合が高めだそうです。

2012年3月22日木曜日

ハリーポッター・スタジオのスタジオショップ

今日はハリーポッター・スタジオ、お買い物編です。

チケットがないと、スタジオツアーには入れませんが、お買い物だけで立ち寄るのはアリみたいです。
駐車場、お手洗い、カフェもあるので、どこか北に行ったついでにここでトイレストップ兼お買い物といった風にも利用価値大だなーとガイドとしては考えてしまいました。

今日はどんなものが売られているか紹介していきますね。
だけど、全部は書ききれません。
本当にすごい品揃えで圧倒されること請け合い(笑)。
さすが映画を作ったところだけあって、映画に出てきたものがそのまま売られています。
例えばいろんな味のジェリービーンズ。
味の説明を見ると、絶対に食べたくない味がたくさん・・・。
チョコレートのかえるもちゃんと売られています。
でも、映画と違って中から飛び出してくることはなさそうです。
次の3枚のポスターですが、顔写真を自分のものに替えてプリントしてくれるサービスです。
指名手配のポスター
これはゴシップ誌クイブラーの表紙
こちらも指名手配っぽいかな?
これは自分の名前も入れてもらえます。
ツアーを終えて、おみやげもの屋さんに入ったら左手の方に行くとこんなカウンターがあって、そこで作ってくれます。
だからローブもちゃんと用意してある。
買う前に、どんな風になるのか見るだけならタダ。
気に入ればお買い上げ、となります。
このショップのオリジナルサービスは他にもあって、映画のひとコマを自分のものにという、セルと写真の組み合わせ。
こっちは小さいもの。
25ポンドくらいです。
こっちは大きなセット。
お値段はサイズでいろいろ。
映画で出てきた衣装のコピーも売られていました。
ホグワーツの制服も全部揃っています。
ガラスケースに入っていて、見るからに高そうなチェスのセット。
それでも300ポンドくらいです。
グリフィンダーの剣のレプリカなんかもかっこいいかも。
ツアー中にとってもらった写真(ほうきに乗って撮影したもの)も12ポンド払っているわけだし、使おうと思えば、散財することが出来るおみやげもの屋さん。
でも、ファンの人はこのおみやげもの屋さんを見るだけでもすごく楽しいと思います。

2012年3月21日水曜日

ハリーポッター・スタジオのみどころ

これがハリーポッタースタジオのフロアプランです。
クリックすると大きくなります。

スタジオショップの上にシネマと書かれているところからツアーはスタート。
映画館になっていて、ここでミニムービーを見ます。
収録中の様子とかをメインキャラクター込みで見られるから、面白いと思います。

さてそのスクリーンの後ろにはホグワーツのホールへ通じる入り口が。
スクリーンが上がった時には「おぉー!」という声が観客からもれていました。
扉を抜けると、すっかりハリーポッターの世界。

これらのセットは本物です。
座って写真が取れるところもあります。
でもほとんどのセットの前にはロープが張ってあって、展示物に触れることは出来ないようになっていました。

これは、ハリーのベッド。
ホグワーツのグリフィンダー寮です。
このセットは最初の映画の時に作られたので、俳優さんたちがみんな大きくなりすぎた後の映画は、カメラの角度を工夫しないとみんな足がはみ出しているのがばれそうだったそうです。
いろいろな小道具類。
フィロソファーの石もちゃんとあります。
この部屋の奥にほうきに乗ってみるコーナーがあります。
後ろが緑色なのにはワケがあって、まるで自分が空を飛んでいるような映像を見ることができるようにです。
こんなケープを着せられます。
そして途中で写真を撮ってもらって、その写真は後でお買い上げ(笑)
お外にも展示があります。
ナイトバスや、ハリーの実家などもありました。
その後はまた屋内に戻ります。
これは、ダイアゴンアレイ。
一番奥の派手なお店がウィーズリー兄弟のジョークショップです。
私はこのアレイが一番のお気に入りです。
映画では見逃してしまう小さなディテールを、ゆっくりのぞいて見て歩きました。
でも、スタジオが一番自慢にしているのは、なんといってもフィナーレのこちら。
すごいでしょう?
ホグワーツの模型です。
縮尺は24分の1で、各部屋には灯りがともるようになっています。
これはおみやげもの屋さんの手前の部屋。
魔法の杖の箱に見立てて、ここの制作に関わった人たちの名前が書かれています。
ハリーポッタースタジオの入場料は大人28ポンド、子供(16歳以下)21ポンドです。
さて、これだけ出して、どれくらい楽しめるかは、どれだけハリーポッターが好きかで変わってくると思います。

私は12時30分に入場して、普通に見学して、おみやげもの屋さんの時間入れずに2時間ちょうどでした。
ということは買い物をじっくりしたいとか、お茶も飲みたいというなら、3時間くらいはあっという間に経ってしまう計算になります。

半日たっぷり楽しめるわけだから、入場料は安いと思います。
デモね、買い物にはお金がかかりそう。
すごい品揃え。

それではハリーポッターのスタジオ、ショッピング編は明日にでも記事にしたいと思います。

ハリーポッターのスタジオ

3月31日の一般公開に先駆けて、ハリーポッター・スタジオのテストオープニングに行ってきました。

このアトラクションの正式な名前は「ワーナーブラザーズ・スタジオツアー・メイキングオブ・ハリーポッター」といいます。
ちょっと長いかも(笑)
多分「ハリーポッター・スタジオ」で十分通じると思います。

気をつけないといけないのは、スタジオでの当日券はないということ。
必ず予約が必要で、予約のバーコードをこのマシーンで読み込んで、チケットを受け取る仕組みです。
このエリアはチケットがなくても入れます。
スターバックスのカフェとトイレ、おみやげ屋さんがあります。
後でおみやげ屋さんだけで記事をひとつ書きますね(笑)

このスタジオ、ロンドンの北、ワットフォードという場所にあります。
ロンドンから車だと1時間かからないはず。
私は鉄道を使って、最寄のワットフォードジャンクションからタクシーでアクセスしましたが、3月31日以降はこの駅からシャトルバス(有料・片道2ポンド)がでるそうです。
これはシャトルバス。
ちゃんとハリーポッターの柄になっています。
チケットは時間制になっていて、まず通されるのは映画館。
そこで短いスタジオ紹介の映画(5分から10分くらいだったと思う)を見た後、スクリーンが上がると、じゃーん。

いきなりこんな扉が登場します。

2012年3月19日月曜日

Bar du Musée

オリンピック正規ガイドコースの授業に、オリンピックパーク以外の場所で行われる競技の下見があります。

土曜日には、小雨の振る中、射撃の会場になるウリッチや、馬術競技が行われるグリニッチを見てきました。

実際にお仕事の時は日本語を話すわけですが、授業は全部英語、そして試験も英語です。
今回のコースには日本語ガイドが(私も入れて)4人参加しています。

この日は午後の授業がなかったので、同じコースを受けているお友達ガイドのみんなでお昼ご飯を食べに行きました。
ごはんの時には授業の内容やその他いろいろ、日本語でおしゃべり。
もちろん情報交換がメインですが、ちょっと意味が分からないこととか、聞き逃してしまったこと、クリアーにしたいことなんかは、4人で確認すると大概解決します。

ごはんの場所は、先輩Mさんお勧めのビストロ。Bar du Muséeという名前です。

これは、先輩Mさんのバーガー。
全然ビストロっぽくないけど(笑)あるとうれしいメニュー。
私も注文しようかなーって思ったんだけど、チーズが燻製だったことと、ベーコンが入っていたので止めました。
チップスがおいしそう。
メニューにはドリッピングチップスって書いてありました。
ドリッピングというのは、牛脂肪のこと。
融点が高いので、かりっと揚がります。

これはAさんのムール貝。
東京オリンピックをよく覚えているというから、年齢は完璧に先輩だけど、ガイドの先輩かどうかは不明。
スペインに住んでいたことがあるので、その時の話なんかをしてくれました。
バルセロナのオリンピックの前に渡英したそうです。
ガイドって職業柄みんな個性的なんだけど、彼女はその中でも特に個性的。
お次は一番仲のいいえまちゃんのランチ。
えまちゃんは小食です。
こんなので足りるのかなぁ?
これは私の選んだトゥールーズ風の煮込み
南フランスのトゥールーズ地方のソーセージと、お豆を煮込んだものです。
グリニッチを歩いた後で、すごく寒かったから、体が温まりそうなものを注文しました。
グリニッチの町の中心だし、サービスもとてもフレンドリーでした。
お値段も高くないので、気軽に寄れるレストラン。

古代オリンピッククイズの答

古代オリンピックのクイズはこちら(リンクします)

1.776BC
2.393AD
3.テオドシウス1世
4.紫色
5.5日
6.ピタゴラス
7.ゼウス
8.エリス
9.ステード(短距離)、ディスク(円盤投げ)、レスリング、槍投げ、ロングジャンプ
10.192m
11.目突き、噛むこと
12.3回倒れたら負け
13.降参するか、死ぬかしたら負け
14.ヌード
15.チャリオット(女性はオリンピックに参加が禁止されていたが、チャリオット競技は選手ではなく持ち主に名誉が贈られたから)

2012年3月17日土曜日

古代オリンピックのクイズ

古代オリンピックについてのクイズです。
何問答えられますか?

1. 何年に始まったでしょう?
2. 何年に終わったでしょう?
3. 廃止したのは誰ですか?
4. 審判のローブの色は?
5. 最盛期の開催日数は?
6. 有名な選手のトレーナーをひとり挙げなさい。
7. オリンピアの神殿は誰を奉っていたでしょう?
8. オリンピックをオーガナイズした都市の名前は?
9. ペンタスロン競技の種目は?
10. 短距離走の長さは?
11. パンクラション(なんでもありの戦い)で禁止されていた行為は何だったでしょう(2つ)?
12. レスリングの勝敗はどうやって決めたでしょう?
13. ボクシングの勝敗はどうやって決めたでしょう?
14. 体育館(Gymnasium)の語源、ジムノスの意味はなんでしょう?
15. 初めての女性の勝者は何の種目だったでしょう?

答えはこちらの記事(リンクします)

2012年3月14日水曜日

オリンピッククイズの答え

クイズの答えを書きますね。

質問を見たい人はこちら

1. 1904 セントルイス
2. 1896 アテネ
3. 1908 ロンドン
4. 1896 アテネ
5. 1900 パリ
6. 1924 シャモニー
7. 1956 メルボーン
8. 1928 アムステルダム(コカコーラ)
9. 1939 ベルリン
10. 1964 東京
11. 1920 アントワープ
12. 1924 パリ
13. 1920 アントワープ
14. 1912 ストックホルム
15. 1932 ロサンゼルス
16. 1924 パリ
17. 1908 ロンドン
18. 1928 アムステルダム
19. 1972 ミュンヘン、1996アトランタ
20. 1960 ローマ

何問正解しましたか?

オリンピッククイズ

今週は、オリンピックの追加資格をとるために、ロンドン大学で特別講義を受けています。

今日はオリンピックパークの中を小さなバスで見て回りました。
身分証明書を見せないと入れてくれないところなので、朝出かけるときにはパスポートを持ったかどうか、何回も確かめました。
オリンピックパークの淵にあたる所から眺めるのとは、やっぱり随分違います。

明日はオリンピックパークの外側のエリアを、講師のブルーバッジガイドと一緒に歩きます。
その後は、またロンドン大学に戻って、教室で授業。
移動時間に同じガイド仲間でクイズでも出したら試験勉強になるかなーと思って、3つのジャンルで50問ほど作ってみました。

皆さんは何問くらいご存知でしょうか?
一つ目のジャンルは近代オリンピック
近代オリンピックの開催年と都市名を答えてください。

1. 金・銀・銅の3つのメダルが導入されたのは?
2. オリンピックの記念切手が初めて発売されたのは?
3. 初めて専用のスタジアムが作られたのは?
4. 最初の近代オリンピックは?
5. 女性選手が初めて参加したのは?
6. 初めての冬季オリンピックは?
7. 初めてボイコットする国が出たのは?
8. 初めての商業スポンサーは?
9. 聖火リレーが始まったのは?
10. ドラッグテストが導入されたのは?
11. 誓いの言葉が始まったのは?
12. 最初の選手村が作られたのは?
13. オリンピックの旗(五輪)が導入されたのは?
14. 5大陸全てが参加した初めてのオリンピックは?
15. 日程が16日(現在の長さ)になった初めてのオリンピックは?
16. 初めてラジオ放送されたのは?
17. 初めての開会式は?
18. 女性選手が陸上競技に初めて参加したのは?
19. テロリストによる被害を受けたのは?(2つのオリンピック)
20. 正式にパラリンピックが始まったのは?

答えは次のブログ(リンクします)に載せますね。

2012年3月13日火曜日

近代オリンピック

今週は、オリンピックの追加資格をとるために、ロンドン大学で特別講義を受けています。

今日の授業のひとつは、近代オリンピックの歴史について。
グーグルで「近代オリンピック」を検索すると、フランスのピエール・デ・クーベルタン男爵が提唱して始まったことになっています。

でも、私が勉強している場所はイギリスですから、歴史は単純ではないのです(笑)

確かにピエール・デ・クーベルタンは人を集めていろいろな働きかけをした人です。
が、彼の少し前にイギリスでは既にオリンピックゲームが行われていました。
労働者階級の教育と健康のために、ウイリアム・ペニー・ブルックスという名前のお医者様が提唱しています。
ブルックス先生はウェールズとイギリスの境にある、小さなマッチ・ウェンロックという村に生まれて生活していました。
そこでこの競技大会は、村の名前を取って「Wenlock Olympian Games」とよばれていたのです。
1890年にクーベルタン男爵はこの村を訪れて、ブルックス先生の家に滞在し、オリンピックを見学、そしてオリンピックを国際的に広げるために国際オリンピック委員会を作ったのです。

ということで、イギリスでは近代オリンピックの父はブルックス先生。
そして、ウェンロックでは今でも毎年オリンピックが行われています。
ウェンロック・オリンピック協会のホームページはこちら

ただ、国際的な近代オリンピックは、やはりクーベルタン男爵に名誉を譲らないといけないようです。
彼が作った国際オリンピック委員会(IOC)はスイスのローザンヌにその本部を置いています。
クーベルタン男爵の亡骸はローザンヌに葬られましたが、心臓はオリンピアに埋葬されたそうです。

ウェンロックほど有名ではありませんが(というか、ウェンロックだって、有名じゃないんだけど)今から400年前(1612年)にコッツウォルズの有名な町チッピンカムデンでもオリンピック再興の動きがありました。
こちらはCotswold ‘Olimpick’ Games とよばれました。
オリンピックの綴りが違うでしょう?
競技も今とは随分違います。
「shin-kicking(向う脛蹴り)」なんて、痛そうです(爆)
ウェブサイトのリンクはこちら
このサイトによると、もちろん近代オリンピックの提唱者はロバート・ドーバーさんです(笑)

歴史って、奥が深いなぁ・・・

2012年3月12日月曜日

古代オリンピック

私たちは日本語で単純に「オリンピック」と言いますが、オリンピックはひとつではありません。

もとはオリンピアという場所で行われていた「競技大会」がはじまり。
最初の「オリンピック」は紀元前776年というから驚きです。
どうしてそんなにちゃんと分かるのか、というのは簡単。
たくさんの記録から、4年ごとに行われていたことがわかっています。
そして、そんな競技大会のひとつに日食の記録があるから、逆算することが出来たそうです。

でも、オリンピアでの競技大会が唯一のものであったわけではないのです。
ギリシャには、精神の健康と肉体の美しさを尊ぶ文化がありました。
大人は全て、平時でも体を鍛えて、必要があればいつでも戦争に赴く準備を求められていました。
そこで、いろんな場所で競技大会が開かれたわけですが、そのほとんどは神殿のあるところで、特定の神様に奉げるといった体裁をとっていました。
オリンピア以外ではデルフィーのアポロン、ニーミアのゼウス、コリンスのポセイドンなどに奉げた競技大会がありました。

オリンピアには町があって人が住んでいたわけではなく、神殿が建つ聖なる場所でした。
オリンピアにあった神殿はゼウスを祭ったものです。
4年に一度その神殿の前で、ステードという競技が催されました。
これは、約190mの競争です。
初期には何の設備もない場所で行われたこの競技が、次第に参加者や見物人が増えたために、専用の建物を作ったことから、競技場のことをスタジアム(ステードが行われる場所)と呼ぶようになりました。
77回目の競技大会の頃には、たった1日だったオリンピックは5日になり、その競技種目も16に増えています。

ギリシャの全域で行われた大会ですから、どの都市も名誉のために選手を念入りにトレーニングしました。
有名なピタゴラスも、オリンピック選手のトレーナーだったそうです。
大会は、それでも宗教色が強く、5日間のあちこちに宗教儀式がはさまれていました。
月桂樹の冠だけだった、名誉の勝利も、それ以外の副賞が付け加えられ、世俗化していく大会が出てきましたが、オリンピアのものだけはそういった世俗化を免れています。
そのために、他の大会がなくなった後も、逆に長く残ることになったのです。

ローマ皇帝の一人テオドシウスはキリスト教の保護で有名ですが、彼が一切の異教の儀式を禁止にしたために、古代オリンピックは393年の大会を最後になくなってしまいました。
戦争中にもオリンピック競技の時には休戦して、1000年以上欠かさずに行われていたそうです。

今日から学生

今日からしばらく学生に戻ります。
といっても長期に渡るわけではありません。

今年2012年、ロンドンではオリンピックが行われます。
発表がされたのは、2005年の夏のこと。
このオリンピックのための、正規ガイド追加資格コースが、2006年冬から毎年行われています。
これは、一般の人たちに開かれたコースではなくて、既にブルーバッジを保持している人たちの追加資格です。
私はこのコースに興味はあったのですが、どうせ勉強に時間を使うなら、机の上の勉強よりも、実際に建物が出来上がったり、地域の開発がある程度なされてから受講する方が意味があるだろうと考えていました。
そこで、この春の最終コース(この後は多分もう催行されないと思う)に申し込みをしてありました。

今日はその1日目。
授業はロンドン大学のキャンパスが使われています。
ただ、実地の授業も多くて、全てが教室の中ではありません。
でも今日は朝から夕方まで、ずっとこの建物の中で過しました。
短期のコースなので、集中力が必要です。
今週1週間はみっちりモジュールをこなして、来週は自習、月末に試験があります。

お勉強中に「面白いなー」と思ったことなんかは、ここで紹介していきますね。
オリンピックスタジアムなんかも見学予定が入っています。
写真が撮れたらいいなー。

2012年3月10日土曜日

東日本大震災から1年

3月11日から1年。

去年のこの日、朝、テレビのニュースで震災のことを知って、いくつか私のブログにも記事を書きました。
ちょっと、思い出すために、戻って読んでみました。
それぞれクリックすると、その記事にリンクしています。

地震当日の記事

心ないチェーンメールに翻弄された記事

日本と連絡が取れたときの記事

インディペンデントの新聞に「がんばれ日本」を見た時の記事

チャリティーウォークのことを考えた記事

チャリティーウォーク初日の記事

日本人だけでなく、イギリスに住んでいるあらゆる国籍の人たちが、日本のことを考えていました。
今年もJRTGA(英国政府公認観光ガイド協会)では、有志によるチャリティーウォークを行いました。
ツアー内容や、報告はこのページでご覧いただけます。
わたし個人のものは、合計41名様が参加してくださいました。
去年参加してくださった方が、別のウォークを楽しんでいただけるように、3つの新しいコースを考えました。
準備期間も含めて、かなりの時間を使ったのですが、内容には満足しています。
ちょっとプランが欲張りすぎて、予定の時間をオーバーしたのはまずかったですけどね(笑)

JRTGA全体で見ると、何日かはボランティアのガイドがいなかった日もあったし、逆にガイドが行っても誰も参加してくれなかった日もありました。
去年に比べると、集まった金額は少ないですが「できることを続ける」というのは大切だと思っています。
参加してくださった皆さん、本当にありがとうございました。

2001年9月11日や2005年7月7日、どこにいて、何をしていたかすごく良く覚えています。
2011年3月11日というのも、この先私たちは忘れることのない日です。

2012年3月8日木曜日

The Grill@Dorchester

この間、ティムちゃんがドーチェスターへお昼ごはんに連れて行ってくれました。
何となく、高いというイメージがありますが、セットメニューもあって、お気軽に楽しめます。

いつも思うのですが、高級レストランでもセットランチがあったりするので、お夕食に比べると随分割安感があります。
ロンドンにお越しの方から「お昼は軽く、でないと夕ご飯が食べられなくなっちゃうから」という意見を聞くたびに、私だったら逆にお昼にしっかりといいレストランで食べて、夜を軽食にするのにって思います。

ドーチェスターのメインレストランはThe Grill。
ここのセットランチ(日曜日以外)は2コースでたったの23ポンド。
アラカルトでもオーダーできますが、その倍以上します。

これは私の前菜。
燻製のたらとお豆のあたたかいサラダです。
ティムちゃんはヤギのチーズとフォアグラ、赤カブのサラダ。
メインコースはふたりともローストビーフ。
テーブルまでトロリーでやってきて、こんな風に切ってくれます。
焼き加減を聞いて、それから切る部分を決めるみたいです。
ミディアムレアでお願いしますって言ったら、こんな感じです。
ローストポテトをもっと乗せようとしたから、、本当に1個だけでいいのって慌てて付け加えました。
これくらいなら完食可能です(笑)
デザートは、ティムちゃんは要らないって。
私はティラミスにしました。
このセットメニューは、「Menu of The Day(本日のメニュー)」といって、3-4種類の中から好きなものを選べます。
さっきウェブを見てみたら、すっかり違うものだったから、きっと頻繁に変えていると思います。
食後にはミントティー(私)とエスプレッソ(ティムちゃん)
プチフールはこんな風です。
サービスもいいし、何よりここはテーブルの間隔がきちんと取られているのが一番気に入っています。
夜のメニューにはローストビーフがないので、お気をつけ下さい。

2012年3月5日月曜日

ポアロのおうち

前回のブログで、アガサクリスティーのおうちを紹介しましたから、今日は彼女が生み出した偉大な探偵、ポアロのおうちを紹介します。
このフラット(イギリスでは集合住宅のことをこう呼びます)は、ITVのテレビのポアロ・シリーズに登場します。
原作では「WHITEHAVEN MANSIONS」という名前なのですが、この写真の建物の名前は「Florin Court」
チャーターハウスという広場に面して建っています。

アールデコってカンジでしょう?
こういった外観の建物は、ロンドンで数多く見られます。
大体1920年から30年くらいにかけて建てられました。

実は私の住んでいるフラットも、同じくらいの年代に建てられました。
デコの建物は、お部屋が広くて天井も低くありませんが、残念なのはキッチンやバスルームといった「水まわり」がかなり小さいことです。
個々のフラットに住み込みのお手伝いさんを置かずに、フラット全体の管理にケアテイカーがいて、お掃除なんかはそういったケアテイカーや、別にアレンジした人が行っていました。
1930年代に、このタイプのフラットに住んでいたのはミドルクラスの人たちです。
持ち家として購入するわけではなく、完全に賃貸物件として出されていたようです。
リースという、長期の賃貸が人気を集めたのは、ずっと後になってからのことです。

ちょっとネットで探してみたら 「Florin Court」 の建物の中にはいろんなサイズのフラットがあるようです。
9階にある、一番小さいスタジオフラット(日本風でいうワンルーム)で1週間の家賃が290ポンドで広告が出されていました。
場所も便利。
地下鉄の駅バービカンも近いし、金融街まで歩いてアクセスできます。

駅名にもなっているバービカンというのは砦という意味。
ロンドンがもっともっと小さかった時代には、この辺りは町の淵にあたる所。
だからそんな名前がついたんでしょうね。
すぐ近くには、スミスフィールド、お肉屋さんの中央市場。
町の端っこに、家畜の市場があったことに由来します。

このパブは、そんな市場のすぐそばに立っています。
名前は「HOPE(希望)」
看板を見ると、いかだから助けを求める人が・・・
いったいどんな理由でそんな名前にしたんでしょうね。


このパブの2階にはレストランがあって、そちらの名前はとても分かりやすいのです。
「サーロイン」
看板には「最高級の朝食とランチをお召し上がりいただけます」と書かれています。
それはこの場所が肉市場なので、朝と昼が忙しいということの名残でしょうね。

肉市場の横にある「サーロイン」で肉料理を食べてみるというのもなかなかいいかもしれません。

メニューが外に出ているのですが、普通のレストランに比べると、かなり安いです。
でも私はまだここで食べたことがないので、美味しいかどうかはわかりません(笑)

ところで、多分以前にもこのブログに書いたと思うのですが、サーロインというのは牛の腰肉のことです。
他のお肉(ポークやラムや鹿肉)などの腰肉は、ただロインと呼ぶのに、ビーフの場合だけサーロイン。
これは、ジェイムス1世という、家康と同じ時代のイギリスの王様が命名したからです。
ポアロのフラットのナナメ向かいに「チャーターハウス」という建物があって、ある時ジェイムス1世がそこでご飯を食べていました。
あまりに美味しいお肉に感動した彼は、給仕にお肉の種類を聞きました。
「ロイン(腰肉)です」との答えに、ただの腰肉ではこの美味しさにふさわしくないとかんがえて「Sir(騎士の称号)を与えよう」となったわけです。
サーロインは最近お値段が随分上がりました。
私がいつも行く、近所のお肉屋さんでは1kgあたり、38ポンドもします。
そこで、もうちょっと気軽に買うことのできる部位は、というとフォーリブ(Fore Rib)というカット。
これは、昨日お料理したお肉で、2kgほどです。
180度で1時間半焼いたらこんなカンジ。
脂身が苦手な人にはあまりお勧めできませんが、脂身のおかげでサーロインよりもかなりジューシーに仕上がります。
サーロインの半値近く、という値段設定も、魅力です。