2010年2月15日月曜日

コープ(協同組合)

コープはイギリスで始まりました。

産業革命の興ったマンチェスターの北側、ロッチデールという街です。
19世紀、ロッチデールでは、毛織物の職工が失業して、厳しい暮らしを余儀なくされていました。

羊毛が原材料だった時代、糸を紡ぐのは女性の役目でした。
それは、はた織が大変な重労働だったために、家庭のような小さな工房では、男性の仕事とされていたからです。
奥様が糸紡ぎ、だんな様がはた織。
小さな土地を耕しながら、家庭が営まれていました。

ところが18世紀半ばのフライングシャトル( 飛び杼)の発明で、糸の生産が追いつきません。
織るスピードが速くなって、人が紡いでいたら間に合わないからです。
そこでジェニー紡績機という手動の糸紡ぎ機が発明されました。
これは手動ですが、これまでよりもずっとたくさんの糸を短時間で作ることが出来るようになりました。
原価が下がってそのために需要が伸びましたから、産業が発展し、事業として資本家が参入してきます。
そこでたくさんの職工(はた織人)が必要になって、半農半工の労働者が土地を捨てて、職工として働くようになったのです。
産業革命で、動力が人から水力や蒸気に代わると、まず重労働の「はた」が人の手を離れました。
羊毛に代わって、アメリカから綿花が運ばれてくると、糸紡ぎも蒸気の力が使われるようになりました。

全て機械ですから、特に技術がいるわけでも、力がいるわけでもありません。
そうなると、賃金の安い子供や女性が工場で雇用されるようになって、男性がどんどん失業するようになりました。
農業に戻ろうにも、もうその余地はありません。
工業と同じく、農業も大地主によって大規模に運営がされて、小さな農家が生活できる環境ではなかったからです。

それでも羊毛製品は、英国の軍服などに使用されていたわけですが、ナポレオン戦争が終わった後、受注の減少で、産業自体が縮小してしまいます。

ランカシャーやヨークシャーなどの、産業革命の興ったエリアでは、労働者(特に経験のある職工)は悲惨な生活を強いられていたわけです。

そんな労働者を助けるべく、たくさんの知識人たちがいろんなアイディアを出しました。
そのひとりがロバート・オーウェンです。

そんな時代(19世紀の始め)に政治にかかわることが出来たのは、貴族かその親戚です。
イギリスの国会には貴族院と衆議院(庶民院と訳される場合が多い)の2つのハウスがあります。
庶民院は、名前から、一般人が選ばれるように思われがちですが、実際は、長子相続のイギリスでは、貴族の次男や三男坊が、お金持ちの女の子と結婚して議員になるケースが多かったのです。
結婚相手も土地や工場などを持っている富裕層ですから、庶民の意見などは政治に反映されるはずはなかったのです。

街の労働者の生活を省みない政治に、あちこちで暴動が起こるようになりました。
穀物法が作られた時も「外国から安い小麦が入ってきて、地主が困ることがないように」ということで、「街の労働者が高いパンが買えない為に飢えてしまう」ことは全く考慮に入れられませんでした。
暴動は普通、軍隊によって鎮圧されます。
時には行き過ぎて、死者を出すこともありました。

労働者の生活を守るために集会が開かれたり、その流れで労働者のための店舗が作られたりもしましたが、たくさんのグループが失敗を繰り返しました。
殆どは資本や資金繰りの問題です。
そんな中、1844年、ロッチデールに協同組合(コープ)店舗が開かれたのです。

協同組合というのは、簡単に言うと「利益を同じくする人たちの集まり」です。
失業したり、賃金の少ない人たちのサポートのために、資本を募って店舗を持ちます。
そこで取引されるのは、品質のいい必需品のみ。
資本を出す人は組合員とよばれて、資本に対して一定額の利子を受け取ります。
それを引いて、余った利潤は、買い物額に応じて組合員に払い戻す制度です。
始めは簡単な店舗のスタートでしたが、そのうち粉挽き、銀行、保険、学校へと事業は広がっていきます。
今では世界中にコープが広がっています。

何でこんな話をしているかというと、イギリスの保守党が、今年の総選挙を踏まえて、公共セクターのコープ化を提案したからです。
もともとコープの考えは社会主義的な発想です。
ただ、資本主義下でも上手くいくケースがあって、例えばイギリスの「ジョンルイス」がそう。
スーパーマーケットのウエイトローズもこの傘下なのですが、利益は従業員で分かち合うスタイルです。
イギリスの産業のネックのひとつが、一般従業員の経営に対する関心のなさなのですが、コープのスタイルは「その会社の利益が、直接従業員の関心ごとである」というものです。
公共セクターでこういった動きが始まると、面白くなりそう。
日本では「一人一人の従業員が、会社を代表している」と思っているケースはそれほど珍しくありませんが、イギリスでは殆どありません。
普通何かあると返ってくる返事は、
「それは私の仕事ではありません」
「それは私の問題ではありません」
「それは私のセイではありません」
こういった返事に変化があるかもしれないわけです。
期待しないで見守ることにしたいと思います(笑)

2 件のコメント:

Rottenmeier さんのコメント...

コープにはそんな起源があったのですね。最近見かけるコープはスーパーマーケットとあまり変わらないような気がしますが。スイスとイタリアのコープは結構大きいそうです。ドイツではさっぱり見かけません。日本では生協ですよね。関東(西だったか北だったか)と神戸生協が日本では大きかったらしいですが。
食品の安全が叫ばれる昨今、こういう事業形態についてもう少し研究されても良いのではないかと私も思います。

miki bartley さんのコメント...

日本の神戸に、オリジナルのコープのコピーの建物があるそうです。
トードレーン(ロッチデールの通りの名前)にある建物と似たようなつくりだそうですが、私はみたことがありません。
日本で近くに行く機会があったら是非行ってみて下さい。
オリジナルの方はまもなく2年間休館になります。
身体障害者のアクセスをよくする工事をするそうですが、宝くじ基金が同額寄付(寄付金と同額をコープが投資)するそうです。